もともと内側にあったもの [描く]
もともと内側にあったものを
どきりとする程唐突に思い出す事がある。
それは時に
チクリと痛い想いだったりするけれど。
すべてはもともと抱えていたものだから
それはそれで
じっくりと見つめてみようと思う。
まわりには
ワクワクする事や楽しい発見や美しいものが沢山あるけれど
それと同じ位に
シビアな現実や痛々しい事実や憂うべき出来事も散らばっている
すべての有り様を+と−に分ける事は出来ないし
その必要も無いと思う
だけど
かつて、若かった頃の私なら
すべてを
見ていたいものと、見たく無いものに分類して
見ていたいものだけ視界を占めるよう
その他を白い布で覆うように
極力
見えなくしたに違いない。
時間の経過とともに
歳を重ねるとともに
様々な物がゆっくりと
混ざっていくように思えてくる。。。
そう考えると
ふぅん。。。と
何だか合点がいったような気分になるなと思った。
ちょっと短い旅をしてきた。
時がカタチになった場所を歩く旅。
頭の中があまりに混沌として
雑雑としてしまったから
自分の小さな器ぶりをからからと笑いとばしてしまう程
すべてが堂々と
動かない時間の経過を見るために。
で
何かが大きく変わった訳ではないのだけれど
「ああそうなのか」と開眼したわけでもないけれど
ちょっと肩の力は、抜けたかもしれない。
歩き続ける事は大事だけれど
走り続けるのは難しい事
ゆっくりといこう。
さて
このしっとりとした
蒸し暑い梅雨ではありますが
クリスマスの版画なども
少しずつ制作しております。
刷る紙を変えてみる事も
試してみたり
時を経た紙に版画を刷ってみる
秋の京都での展示のために
国立にあるゆりの木さんの常設のために
そして自分の楽しみのために。
友のために。
2015-06-14 11:38
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