SSブログ

森は生きている [版画]

森の家 のコピー.jpg

たとえば考えてみる
想像以上にとらわれている事はなんだろうかと
自ら振り回されに
行ってはいないか?と

自らのテリトリーの広さを、実感出来ているのか?
テリトリーとはなんだろう?
思いの外、大きなそれを想像してはいないかと・・・

理解していたものが実は
理解していると
感じていただけだったり

人間と言うものに
果てしなく大きな期待をし
そして大きな存在である事を
期待し過ぎてはいないかと・・・

ふと思う
いや、思うようになったと言うのが正しいのかもしれない

人に与えられている時間には
広い意味では、さほど違いは無いのだろうと
それは意外と短い気がして
その中で如何に出会い
経験し
咀嚼する事に費やせるのは
どのくらいだろうか?

個というその持つ器の中に
なみなみと貯めては溢れさせ
その事に慌てて
必死で貯め
またこぼしてしまう

自然に染み込んで
気化して行くのが自然の成り行きと
気をもまず
そろそろ空になるも、満ちるも
単なる現象い過ぎないと
遠くからおもしろがって眺められたら
やっと肩から力がぬけるのだろうな・・・

森を痛める事に
心を痛める人間たち
だけど森は、ただ黙ってそこにあって
長い年月さまざまな環境から
壊れたり再生したりを繰り返してきた
消え失せてしまったものも多数存在する

それでも手に負えないほどに壮大で
そこに本来ある
自由気ままで
なるようにしかならない有り様が
何とも淡々と
静かで怪しくて
時には無言の反撃をし
人間のちっぽけさを
静かに笑いをうかべて見せつけてくれる。

だからどっぷりと浸りに行く事に
果てしない器の大きさに
クールでありながら
寛容さもかんじるのだろう
いかに生きるかは
さあ
あなたが考えなさいと。

それは突き放しているようで
包み込むようで・・・

ならば私はその中で
時に恐れ
時におもしろがり
時に癒され
静かに力をもらうのだろう。

ふと幼い頃読んだ「森は生きている」と言う本のタイトルを思い出す。
あらすじが曖昧でよく覚えていないのだけれど
「森」というものの深さと
不思議な異空間と
感じたのを覚えている。

そして
それにあこがれ
恐れながらも癒される想いがして
近くの雑木林に足を運んだ幼い頃を
思う。

こうして書いている文章に
たいした意味は無く
そう、多分展示とも関係ないのだけれど
ふと浮かんだ「森」
がなぜ出てきたのかを考えてみた時
ちっちゃなちっちゃな個であることに
「良いんじゃないそれって」
て思ったからかもしれない。

オオカミと少女 のコピー.jpg

そして滑稽なほど森に迷い
空想して遊んでみようと
クオリティでもなく
ただただ浸る時間を楽しんでみようと
思ったのだと思う。

と書きつつ
何とも脈絡無く
そしてつい書いてしまいました。


コメント(0)  トラックバック(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

別件でも版画を展示までもうすぐ ブログトップ
Copyright (C) Yuko Hosaka.
イラストレーター/銅版画家 制作のこと、日々のことなど

種々多様ものづくり作家

mail: yukohosaka939@gmail.com

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。