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たとえばネコ [銅版画]

ねこ1.jpgねこ2.jpg

同じ版を色のバリエーションを変えて刷ってみる。
何だかテキスタイル的になったね
ネコと鳥
色を変えると表情も変わる
色は一つの意味を加える要素にもなる。

表情は不思議なもの
人もまた表情がモノを語る

語りたく無くても語ってしまう事もある
伝えたく無くても伝わってしまう事もあるし
知らなくていい、誰かの心の声を聞く事にもなりうる

絵もまたしかり
絵の持つ表情は
思いがけず何かを語ることがある
それは具象抽象関係なく
ある意味、ストレートに自己を表すものにもなりうる。
それは言葉にも似ている
それは眉の動きにも似ている
それは口の端が上がるとか下がるとかにも似ている

人間は、存在そのものが
無意識に自己プレゼンテーションしてしまうので
思えば少し怖い気もする。

せめて
ビジュアルと言葉で
素直な気持を
表現しよう思う。

私は主に具象
だけど説明はしない
説明すればする程、遠ざかる気がするので
極力説明しないように努めている。

伝わる事が重要な訳ではなくて
誰かが誰かの気持の中で
受けた意味合いのままで構わないと思う
反応するところが
さまざまでいいと感じている。
心のどこかの何かに
少しだけ触れるものがあったら
良いなと思いながら
絵を描く。

私はよく
「ネコの人」と思われる。
おそらくそれは
アイコンが悪い顔をしたネコだからだと思うけど
実は、版画でネコを描く事は少ない。

だけどネコと言う生き物の持つ
気まぐれで自由でしなやかな感じが好きである。
だから不意に
気まぐれにネコを描いてみるけれど
以外と私の思う所のネコとは違う感じになるので
なぜだろうか?と常々思っている。


ネコのようになりたいと思った事がある。
それは、外ネコの猫で

ぷいっとどこかへ出かけて行き
高い所に登ったり飛び降りてみたり
現れたと思ったら、ぱっと隠れて見えなくなる
そして気がつくと
帰ってきて無防備に眠っている
そんな存在。

そんな自由奔放な生き物に憧れを抱いたからで
私自身には出来ない行動だからとも言える。

思いつきで遠くへ行く
でもせいぜい日本
私に出来る事はその程度

猫好きの人が猫のどこに惹かれるかは
人によっても違うと思うけれど
人間が鳥に憧れたように
私は長く
猫の奔放さに憧れていた。
でも以外とこれは難しい。

私のイメージの中では
大空で自由なのが鳥ならば
海では魚
地面の上では猫なのだった。

そして最近よく描くライオンは
ネコ科の動物
かつては自由だった存在も
今、私には不自由に見えてくる。
多分人間が多くなったから?なのかもしれない。。。

こんな暑い夜
何をながながと猫についてしゃべっているのだろうかと
今不意に思ってしまった。

こんな蒸し暑い夜は
かすんだ月と
瓦屋根に冷たさを求めるノラ猫が
ぼんやりと頭に浮かぶのだった。
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Copyright (C) Yuko Hosaka.
イラストレーター/銅版画家 制作のこと、日々のことなど

種々多様ものづくり作家

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